昇汞記

うたのゆくへ

プロローグ  ー短歌をめぐる憂鬱ー

 さて、このブログでは知られざる歌人たちの系譜をたどりつつ自作の短歌を投稿していく予定となりますが、まずはじめにことわっておかなければならないことは、80年代後半以降の短歌の口語化の流れにぼくとしてはくみするつもりがほぼないということです。

 これはおそらく口語とうたの相性の問題であり、明治時代に性急にこしらえられた口語の無味乾燥さと相対的な貧しさによるところが大きいのだと思われます。もっともだからといってすべてのうたを文語にかえれば事態が好転するほど単純な話ではなく、文語が主流であった時代においてもほんとうにすぐれたうたというものはごく一部にかぎられていました。

 口語短歌がいまの時代に隆盛をきわめようとべつだんなにもいうべきことはないのですが、突出してすぐれたうたを詠んでいた往年の幾人かの歌人たちが、たんにマイナーな歌人としてかるく扱われるか、抹殺にちかいかたちで忘却にさらされている現状を目の当たりにすると無残な気持ちにもなるのです。とりわけぼくの私淑している2人の歌人、高橋正子と原田禹雄こそはつねにひそやかにひかりかがやく名前であるべきでしょう。

 短歌にたいするとっつきにくさというものがいまでもありうるのは十分理解できます。ぼくにとっても短歌は、詩や哲学、小説、さらに俳句をすらへて最後にたどりついたジャンルでありました。歌会始に代表されるようなあの雰囲気、新聞歌壇のような総員参加型のイベントに不快なもの、いかがわしいものを嗅ぎとっていたからでしょうか。

  古語を使用したうただからといってそれがそく伝統回帰や保守反動化につながるわけではないのです。高橋正子や原田禹雄のうたはアントナン・アルトールネ・シャールパウル・ツェラン稲川方人のうたに直接つながりうるのであり、そこにはどのような飛躍も断絶もありません。

 ぼくがさいしょに手にとったのは塚本邦男の短歌でそのあからさまな前時代ぶりに鼻白まずにはいられなかったのですが、そのすぐあとに読んだ山中智恵子のうたが救済のように訪れました。前衛歌人ニューウェーブだろうとなんであれおおまかにいって男性歌人が野暮でぶしつけな存在に感じられるのは、なにも気のせいというわけではないでしょう。

 ブログでこういうことを発信したいと考えたのは、歌人や歌壇むけに発信してもなにも興味深い展開にはならないだろうと思われたからです。歌人自身や作家ではなく、たとえば灰野敬二のようなミュージシャンが富澤赤黄男の俳句を評価するというような話の方がより刺激的に思えるのです。

 もちろんいま短歌にかんして語ることは憂鬱なことではあるのですけど、川野芽生のような歌人が少数派ではあれ存在する以上、こうして孤独に語ることもなにがしかの突破口になりうる、そう絶望しつつ期待する今日この頃であります。