ここにひとつの名がある、てのひらからこぼれ落ちた砂のように失われた名、あらがいがたいさだめにしたがってみずからがそう望んだかのように消えてしまった名が。思いがけずとうとつに人々の記憶からはがれ落ち、ふいにその痕跡をぬぐいさられ、たんなる死者であることよりもさらに遠くへだたって、その名はこの現実の世界をあてどなくさまよっている。かつてはたしかにあらわなもの認知されたものであったはずのその存在は、ひとを当惑させる顔を持たない無名性のただ中におきざりにされ忘却されるままとなり、その名を発語する以前にこの世からこばまれてあるもの、けっしてふれてはならない暗黙の禁忌であるかのように排除されているのだ。
かりに歌というものが魂から吐きだされるその瞬間に消えさるさだめにあるものなら、これは歌というものの本質をみごとに体現したものだとアイロニカルに語ることはできるだろう。しかしなにものの手によるとも知られず、神隠しにあったかのようにかき消されてしまったここで問題となっているある人物とは、いくつかの断片的でささやかな歌群の作者として世間的な名声をえることのなかった人間たちではなく、書物という形態にのこされたたしかな重みをもつ、けっして少なくはない記録をのこすことのできた傑出した存在である人そのものなのであり、これは栄光の絶頂にあったものがその後没落したというありきたりな物語とはことなり、なにやらたえがたいまでに理不尽で不吉ななにかがそこには秘められているように思われるのだ。
高橋正子は現役の歌人であったころ、歌壇の最前線にいて比類のない才能を発揮し高い評価をえていたというのは過言にしても、無名のうもれた存在ではかならずしもなかった。『すなさび』(74)、『紡車』(87)のわずか2冊の歌集を世におくったのち、福島泰樹著『歌人の死』によれば彼女は還暦を間近にして1989年9月に鉄道自殺を遂げたということだ。その死後に2つの歌集から抄出して編集された『新編高橋正子歌集』(06)が気休めのように出版されたちまち絶版になったあと、まるで高橋正子などという歌人はこの世界に存在しなかったかのように時は推移して現在にいたっている。名前、顔、身体と作品、そのすべてをこのように凄惨に失わなければならなかった歌人高橋正子とはいったい誰だったのか。