昇汞記

うたのゆくへ

高橋正子 ー最後の歌人ー (5)

 僕らが今ここにいる場所は、膨大な情報を必要に応じて提供してくれる良心的で豊かな社会ではなく、情報を選別し、隠匿し、操作する悪意ある社会なのだ。高橋正子という名がこの世界から抹消されているのは、なにもそれが商品の価値を騰貴させることに役立たないからだけでなく、社会の陰険なもくろみによってその名が浮上してくるのを阻止されているからなのだ。ひとつのもうしぶんのない才能がたえがたい無名性に、絶対的な無力さに還元されてしまうことには、けっして微力でも少数のものでもないおぞましい呪いがかかわっているのだ。

 プラットフォームへ突進する巨大で頑丈な鋼鉄によって、高橋正子がみずからの肉体を粉砕させたのは人間の非力を証するためなどではもちろんなかった。それは鉄を鉄に、速度を速度へかえすこと、骨を骨に、歌を歌へそれがあるべきところへかえすことを意味していた。自殺者高橋正子は死の否定性を前にして、神の子羊のように従順に屈服したのではなかった。いまわの際にもはや歌うことをやめた高橋正子は、みずからの粉砕された肉と骨、間欠泉のように吹き上がる血しぶきたちが歌うのを魂の凄惨さにおいて聴いていたのだ。
 歌人高橋正子はみずからの粉砕された死によって語のスカトロジーを、魂のネクロフィリアを告発した。つまりこれ以上排泄された使い捨ての不潔な観念や死んだものの空虚な形式を、歌においてもてあそぶことは恥ずべき倒錯だと非難したのだ。
 歌を終わらせるために自らの肉体を粉砕するほどの熱量を誰がそもそも持ちえただろうか?痛ましい傷口の裂け目、その噴火口から溶岩をくみ上げるように歌をくみ上げることを、高橋正子以外のいったい誰がなしえただろう?

  滅亡願望疾む蒙昧の冬ふかみ一枚の紙のやうな海泛く
  出でてゆくのみの通路の明るさに一すぢ見え来骨のゆく径
  霖雨また積悪のごと地を掩ひ天蛾すずめがの花蜜を吸ふおと
  みなごろし寒満月よりかうかうと差せる光は下界を濡らす
  霙は雪に変わりゆくらし背椎の火口に細き火をくべるべし