いま一人のすぐれた歌人である山中智恵子は「こころほろぼすことばを生きて」の歌に顕著なようにより純粋に言語のほうへ、すなわち空虚な形式化のほうへと進んだが、「ことばころしてなほそむきえず」と歌う高橋正子の妥協なき反フェティシズムは、山中とは逆に魂のリアリズムとしての粉骨砕身の道程をえらんだように思える。純粋言語のようなもの、生きられうることばというようなものまたひとつの夢物語でしかないのだろう。こころをほろぼすこともことばを生きることもできない不可能性をまえにして立ちつくす山中と、ことばとの断絶をみとめながらなおもことばで歌わざるをえない矛盾の困難をひきうける高橋の、どちらがより現代という名の境域に近しくありえただろうか。
ここで短歌に特有のあの〈私性〉というものについても、山中智恵子と高橋正子という二人の傑出した存在を対比させることは可能だろう。山中は『紡錘』で短歌創作の頂点にたち、そこにおいて〈私性〉を軽々と乗り越えてみせたように思う。ところが彼女ははやくも次作の『みずかありなむ』において、〈私性〉を超えてゆくはるかな広がりをみずから制御してしまったようだ。それは集中のことば「わたしは言葉だった」「われはことば」に顕著にあらわれている。これは一見大胆な意志表明に受け取れもするが、(わたし)と(言葉)という本来同等になりえないものを、同質のものと断言することによって、(わたし)という不確定な要素に安定性をさずけたことを意味するものだとは考えられないだろうか。つまり『紡錘』で超えられたはずの〈私性〉がここにきて回収され、自身の精神にとっての危機となるものに対する安全弁としてはたらいているということだ。高橋正子においてこのようなことはけっしておこらなかった。「病めるもの」としての彼女の凄惨な魂のあり方は、〈私性〉というような時代錯誤ののどかな健全性をみずからに許すほど不誠実ではなかったし、そもそも見えないものをすら見てしまう病者の透徹した目にとって、〈私性〉なるものじたいがずさんな虚構にすぎないことはみえすいたことにすぎなかったからだ。
枝をはなるる
白桃の蜜踏みきたる足疚みてあひ逢ふこころ
生きて未完のことばは散るとしとどなるこの恥の量恥の
あらあらといま
さみしらにわれは
歌とはなにか、また書かれた歌とはなにでありうるのだろうか?それはことばがことばとして成り立つぎりぎりの境界に吐きだされる息のようなものだろうか。その息吹が形をなした時おそらくことばは崩じる。つまりひとが歌から受け取りうるのは、かつてことばであると予兆されたものの息であり痕跡でしかないのだ。歌は直観にふかくかかわるものであるからこそそれは予兆としてあるのだが、予兆されたものと形をなしたものがかならずしも一致するとはかぎらない。息とことば、兆したものと形成されたもののあわいに歌がひそんでいる。
歌とはひそやかな刻限として魂の時間をきざむこと、あらかじめ失われたものである息のことばを痕跡において記録すること、痕跡をたよりにすでに兆していたものをあらたな兆しへと帰すること―それは生のただ中で死を死であるものへ、罪を罪であるものへさらに近づける試みなのだ。なぜなら兆すものとはつねに不穏で危険なものでしかありえないのだから。
そして書かれた歌というものは声を失うということ、いわば失語状態に置かれてあるということであり、魂という箱を閉ざすということ、あえて身体の息を絶やすということでありうる。語は書かれることによって、魂のことばから木乃伊(ミイラ)のことばへと変質する。