昇汞記

うたのゆくへ

原田禹雄 ―うたのくらきともし火― (3)

原田禹雄の歌集はそのほとんどが歌人としてというよりそもそも日本人としてめずらしく横書きで構成されている。これはまったくぼくの憶測にすぎないのだが、おそらく原田禹雄は日本人のいわば御家芸ともいえる共同体芸術である短歌を、あえて日本人としてではなく外国人として書こうとしたのではないだろうか。
短歌の困難とはそれがあまりにも内に根ざしたものであるがために、外の世界と接続することが容易ではないということだ。だから原田禹雄が癩や沖縄、仏教とみずからの生の中心においてかかわろうとして、たえずその「境界のほとりに身をおきつづけてきた」ことほど重要なことはなかっただろう。彼自身は癩患者でも沖縄人でも、純粋な仏教徒でもなかっただろうが、むしろそのようして「差別される者も差別する」という陰鬱な構造にくみこまれなかったからこそ、彼はちかくてとおい外部というまれな場所に立つことができたのだ。
千何百年もの時をへてなおも共同体的なものに幅広く浸透し内在化されている短歌のようなものを外から見ること、なおかつそれをみずから詠もうとこころみることにはいったいどれほど彼自身が孤独な辺境の者であらねばならなかったのか。原田禹雄に比較すれば塚本邦男や山中智恵子さえまだあまりに内部の人であるにとどまるだろう。戦後の象徴天皇制差別意識を内包した内面化=均質化をより陰険なかたちでおしすすめることに役立ったにすぎないのであり、このたえまない危機的状況のなかでいまだに歌人が「実感」や「私性」を云々しているようでは、すっかり弛緩してしまった終焉の時をいたずらにながびかせることにしかならないのではないか。

  この島にとどまり波のよるひるに我この骨よりも死をこいねごう
  光の中の光のふちを飲むごとく夜の夢のみぞ明き淵
  看護婦のやさしき按手におおわれしわが骨の骨わが肉の肉
  蜘蛛膜に死海の書らをおしこめてねむるわが夜のホモイオメレイアイ
  かくてこの死の上に枯るる骨の上に汝が注ぐ瞳こそ夜の虹