昇汞記

うたのゆくへ

原田禹雄 ―うたのくらきともし火― (終)

 誰しも、短歌の詩性を強調することはする。しかし、非・詩が五句三十一音の姿をとったとき、それを非・詩だと断定することはない。五句三十一音の定型性が、今日もまた、ひとりの人を、短歌へ誘うのだ。
 非・詩が三十一音によって、短歌の形をとりうること、これこそが、まさに短歌にとっての恐るべき微量毒作用なのである。(『天刑病考』)

また原田禹雄はこうも語る。「(…)短歌における二つの死が、内部と外部に、深淵をひらいている。道は、ひとつしかない。短歌の五句三十一音を、そこから逃避することなく、詩によって克服する」ことと。原田禹雄にとってなによりも重要なことは「短歌は、詩でなければならない」ということだった。そして短歌共同体のいつもながらのおぞましい荒廃ぶりをまのあたりにして、「私は、私の短歌をまもるために、すべての短歌から、背をむけなければならない」と宣言する時、その激した寡黙さの中の孤立感の深みにははかりがたいものがある。
思うに今日とはいわずどの時代においても誰よりもさきがけて歌を追放してきたのは当の歌人たち自身だったのではないだろうか。歌そのものが今ではひとつの辺境なのだ。だれも歌など信じてはいないし、彼、彼女たちにとってもことばは「悲しき玩具」以上のものではない。はじめにことばがあったというのは間違いであり、倫理として困難に生きられたものだけがことばとなり歌となりうるのだ。そうでなければことばはつかいふるされたけがれた器か権力の暴力的道具にしかなりえないだろう。

  風にまかせてわれの命と罪は越ゆ原やはんたばる道やこびれ道
  わが暗き夜の蝸牛殻こほれあにきたり棲む聖テレザ十字架の聖トマス
  読むに暗く眠るに明きもとに我は口重く舌重き者
  きりぎしのゆうべのかげのひんがしに罪よりもなお白き骨たち
  花すすきありのすさびの憎きだに仲村渠なかんかり畠おろしかじ