「(…)まぎれもなく歌であるその歌はまた、まぎれもなく歌であるといふその理由から、たれの耳にも拒まれるだろう。」
歌とはつまりあらかじめ隠されたものとしてあり、それが絶対的領域にかかわるものである以上、開かれてありながら閉ざされざるをえないもの、言語という伝達機能を本質とするものでありながら、その本質を廃棄するものとしてあらざるをえないということになる。浜田到にとって詩とは「拒む言葉の生理を生きること」であり、伝達機能としての「言葉を捨てるという営為」によってはじめてそれはこの世界へ生成することとなる。
「蘇えりを待つ前に、何故わたしの手は、きまりきつて形象を殺すことから始めるのか」。その問いに対する答えは同じ『血と樹液』の直後のアフォリズムに「ほんとうの空をつくり得るは、あらかじめ形象に於いて充分に死に尽くしたひとつの声である」と記されている。単に想像されたものであるイメージとしての内部の声として現象する形象が、血をかよわせ鼓動を刻む生きた現実へと変容するためには、つまり死から殺害からこそはじめなければならないということだ。なぜなら生きた現実とは浜田到にとっても誰にとってもそうであるように所与のものではなく、あらかじめ奪われてあるものでありそれは死において死の真っただ中において奪還されねばならないのだから。
語という領域での失語とイメージとしての形象の中での自死のその過程において「不死とは声のみになること」、「『在る』とは究極において『歌う』こと」ならば、歌人とは魂という地平において声である身体、存在という骨組みへ貫入する「最後に来たもの」であるだろう。
「歌を堰きとめることにより、更にはげしい内部の歌となると云う意識の有無に於いて、もちろん『詠嘆』と『詠嘆調』とは異なる。詠嘆調は何処まで行っても、詠嘆にとどかない。」
短歌がつねに詩と距離をへだてていたのは短歌が悲歌とはなりえなかったこと、「あはれなるかも」や「寂しかりける」などのステレオタイプの詠嘆調にもたれかかりすぎたことにあるのだと思う。「短歌的なものがわたしを呼ぶのではなく、定型が、制約が、完結が惹く」のだと浜田到は語る。「短歌的なもの」とはつまりステレオタイプにはまり込んだものの総称であり極端にいえばもはや短歌ではないものだが、歌人にせよ非歌人にせよこの「短歌的なもの」を短歌そのものと認識する人間があまりにも多すぎるのだ。「『在らしめよ』という禱りは、つねに何にむかってであれ、血におこる陣痛、鼓膜に消えるつめたい稲妻」、しかしいったいどのような歌人がこのような禱りをかつて自分のものとして持ちえただろうか。
星たちの言葉の林に眠りおち夜明けには拾ふ夥しき鳥
その夕昏れ木柵をかくすほどの地震わき喪の中をあゆむ歓喜を知れり
顔もなき淋しさ・空辷る船それら重なり合ふ夜の色硝子
寝台のみ黒くのこして降る雪のこよひの悲哀に長き階あり