塚本邦雄が浜田到について書いた2つのエッセーを読みくらべてみるとあらためて納得させられることがある。歌壇の「天皇」として君臨し、みずからの歌を悲歌にまで高めることはかなわずアイロニカルなブラックユーモアを量産するにとどまった塚本邦雄の歌人としての遍歴は、岡井隆と同じく短歌的なものの典型をあらわにさせたにすぎなかったように思える。はじめのエッセー「詩の死」にある「彼の作品の一つ一つが、ぼくの作品への批評、というより憐憫でなくてなんだろう」というコンプレックスをふくんだ愚直ともいえる嘆きをふくんだ称賛から、後年の「晩熟未遂」での「一首一首が病んでゐる」、「失語症の、吃音の詩人」というルサンチマンにみちた軽侮をしめす老獪さへいたるところにうかがえるのは、塚本邦雄という歌人のもつスノビスムの限界であり、短歌が短歌的なものからけっして逃れられないという凡庸な事実だ。「失語症の、吃音の詩人」という批判は今日の基準でみれば誉め言葉にあたるものであり、これもまたイロニーの達人である塚本自身にとっては皮肉な現象となった。「内臓とインク壺」というエッセーのなかで山中智恵子は「他者の悪を餌食にして育つ彼の作品に、もう一度、まぼろしならぬ血が流れるのをみたいのだ」と塚本に対して要求したが、みずからを危険にさらすには彼はあまりにも自己保身にたける歌人でありすぎたというべきだろう。歌人塚本邦雄がその生涯をかけて打ち立てた現代短歌の幻の金字塔、それを内部から打ち壊すだけの力を浜田到のこの数少ない作品群は今なお不穏な寡黙さの中に秘めているのだ。
夕闇の誰もかけゐぬ椅子をへだて
身も青む一秒の宙死を得べき樹はちかづけり雷の真下に
大空に山肌昏るる色となり翅なきものら翅を拡ぐる
孜々として蝉鳴けりかがやける苦しみのほか地に位冠なし
翅あはせ蝶やすらふ墓を母として妻さびゆくは合唱に肖つ